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高校時代の無気力な時間 

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1907(明治40)年の棚橋衝平の私塾「天籟(てんらい)塾」が、1912(明治45)年2月、私立天籟中学校と改称し、1919(大正8)年4月廃校し、揖斐農林学校に引き継がれる。1949(昭和24)年4月、学区制実施に伴い普通科、農業科(のち被服科)をおく総合制高等学校に改組、岐阜県立揖斐高等学校と改称して現在に至る。


昭和42年4月、中学の担任に指導されるままに受験し、たまたま合格したので入学した。
校舎の隣の下宿屋に寄宿。
10畳間に8人の同居生活が始まる。

目的も目標もなんにもなくダラダラと惰性で日を送っていた。
同級生は、50人×6クラス=300人。
私のクラスは、女子38人、男子12人。

給食当番、掃除当番の割り当ては、、、すべて多数決。
当然その結果は、、、男子。
半年ほど過ぎたころ、、、担任に「このやり方は不公平だ」と抗議したのがいた。

担任の回答は、、、これが民主主義だ!!
これがアメリカに戦争で負けた結果だ。
文句があるならアメリカに言え!!


体育の時間になると、、、更衣室があるのに、、
女子たちは教室で服を着替え始める。
女子たちは堂々とブラジャー姿ではしゃぎまわる。

男子たちにとっては刺激的ではあるが、多数に無勢。
恥ずかしさに負けて教室から逃げて出る。
これが民主主義だ!!

サイン、コサイン、タンジェント。ルート。パイアール〇乗。
なんか単語だけは記憶にあるが、何を意味するのかは、、、忘れた。
高校で習ったことを社会で使った記憶がない。
まったく不自由はしなかったし、もっと勉強しておけば良かったと思ったこともない。

それでも公務員採用試験に合格したのだから、、、
その当時は理解していたのかも知れないとも思うのだが、、、

3年生になったとき、同じ下宿に1年生の女の子が入ってきた。
夏の蒸し暑い夜、ベランダに出て夕涼みしているとその女の子も出てきて、、、
おもむろに煙草をふかし始める。

「先輩も吸う」と差し出す。
「いや俺は吸わないから・・」と断る。
「男のくせに煙草も吸えないの」・・・・・・・

この年代の男にとって、、、これは屈辱的な言葉であった。

結局、これ以降、二人で夜空を眺めながら煙草をふかすのが日課になってしまった。
その結果、ニコチン中毒になり40年。
今に至って肺をやられる結果となってしまったのであるが、、、そういう定めであったのであろう。

正月を過ぎたある夜、、、大寒波が襲ってきた夜である。
彼女が突然、布団の中へもぐりこんできた。

柔らかい女体の感触と雌のフェロモンが鼻をつく。
初めての体験にガチガチに固まっていた。
彼女はからかうように私の胸に手を這わせて、、、
「ひょっとして先輩はオンナを知らないの??」

彼氏にフラれてきた、、、
というような話を始めた。
彼女は泣いていた。。。。。

肩を抱いてやったら、、、しがみついてきた。
結局、そのまま朝方まで抱き合っていた。

そのまま初体験という流れになるシュチエーションだが、同室に男が3人寝ているのだから、、、
そうはならない。

  
野党やマスコミが「数の横暴だ」とか「強行採決だ」とか、、、大騒ぎするが、、
高校時代を思い出す。
それが民主主義だ!!


高校時代の3年間。
ただ浮き草のように何の意志もなく、、漂って過ごしていただけだが、、、
その3年間(いわゆる高卒という学歴)があったから公務員と言う職にありつけた。

親が払った学費は、無駄にはならなかった。
自分では、無意味な3年間だと思っているが、、、、

「人生に無駄という時間は存在しない」
ということかも知れない。

人生最大のガッカリ

北海道旅行のとき、バスガイドさんの話に「日本三大ガッカリ」というのがあるそうで、、
札幌の時計台がその一つだそうである。

私個人的には「日光東照宮」もその一つに入る。
「日光を見ずして結構というなかれ」というくらい有名な観光地。

しかし、、、テレビなどの映像できれいな東照宮を見慣れてしまって、、
実際に現物を見たら、、、ガッカリだった。

昭和50年代中頃、「ノーパン喫茶」なるものがブームになった。

私がまだ23、4の頃である。
大阪発のノーパン喫茶がついに岐阜にも進出してきた。

「女子大生がノーパンで接客します
というのが謳い文句である。

20代の独身の男が、、そそられないはずはない。

がっ!
一人で行くほどの勇気もない。

そんなある日、友人が「社会勉強のために行ってみないか」と誘った。
渡りに船とばかりに誘いに乗った。

ドキドキしながら喫茶店のドアを開ける。

店内は照明を落として薄暗い。
テーブルとテーブルの間には仕切り板が、、、
お客同士がお互い気まずいことへの配慮なのだろう。

床は、、、スカートの中が映し出されるように全面総鏡張り。
テーブルは、、、スカートの中が映ったモノが見えるように透明のガラス板。

ソファーに坐ると、、、、妄想に夢膨らませてドキドキワクワクである。
しばらくして若いミニスカートを履いた女の子がメニューを持ってくる。

スカートの中は鏡に映っているのだが、、、さすがにジッとは見られない。
コーヒーを注文する、、、と言っても、メニューはコーヒーとジュースしかない。

コーヒーを持ってきた店員は、、、テーブルの前でしゃがみこみ立膝をついてコーヒーを出す。
スカートの中身が鏡に丸映し、丸見えである。

モロ見えぇ~~~~

のはずだった

確かにスカートの中身、女の子の股間は鏡にモロに映っている。

だが!!!!!!!

それはマネキンの股間を見たのと同じ。
つまり、、、パンティを履いてないのかも知れないが、地の厚い肌色のパンストを履いていたのである。

「あんたも好きねぇ~~」と突っ込まれてズッコケれば、、、
まさにドリフターズのコントそのものである。

二人で顔を見合わせてコーヒーを飲む。
思わず吐き出しそうになった。
それは出がらしの茶色の液体、味も香りもなんにもない。

しかも、、、、当時200円~300円が相場のコーヒー代が、、、
なんと2000円である。
夢のサーロインステーキが食べられる値段である。

店を出てからも、、、お互い口を利く気にもならず、、帰ってふて寝した。

人生最大のガッカリであった。

人生70年生きてきても、、こんなにガッカリしたことはない。

地獄うどん

>調べていく中で、「地獄うどん」を見つけました。

徳山村の地獄うどんとは、、、戸入地区だけかもしれませんが・・・
真冬の寒い日・・(何かの節句なのか、故人の命日なのか、記憶にありませんが)

本家に一族の家族が集まって食べるのが「地獄うどん」

本家の囲炉裏にかけた大鍋にぶつ切りのイノシシやシカなどの骨付き肉と大量の唐辛子を入れてグツグツと朝から煮込みます。そしてみんなが集まり始めたころに、ぶつ切りしたねぎを入れ、うどんの乾麺を入れて地味噌で味付け。。

一族みんなが集まったころ、部屋の電気をすべて消して真っ暗に、囲炉裏の焚き木が燃える炎の明かりのなかで、それぞれが大箸を鍋の中につっこんで自分のどんぶりに摘み取り食べるのが地獄鍋です。(取ったものは絶対食べるのが掟)

こうする意味は・・・・

悪人が地獄に堕ちると鍋で煮られて鬼に食われると言われています。

よって、、、このシュチェーションは、、、地獄を表現、地獄うどんを食べる私たちは鬼、骨付きの肉は地獄に堕ちた人間と言うことです。

この地獄うどんを食べながら、、大人たちが子供に地獄の話をします。
悪いことをすると地獄に堕ちて、こうして鬼たちに食べられるのだという話をするのです。

・・・・・・

働いているときは、お昼はほとんどうどんでした。
夏は、「冷やしたぬきうどん」、「ころうどん」
冬は、「釜揚げうどん」
がお決まりの昼食でした。

町育ちの友人たちは「そば」も食べましたが・・・・
山奥の貧乏育ちの私には、、、「そば」は貧困の象徴で、「そば」だけは今でも食べる気がしないですね。

平地の少ない山奥では、米はほとんど取れず、白米は、正月とお盆だけのごちそう。
ですから、主食は、「そば」「ひえ」「きび」「あわ」などの雑穀。それにほんのわずかの米が混ざっていたら大喜びだったという幼いころの記憶が。。。。

出会いとは不思議なもの

<桂銀淑、すずめの涙>
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まだ23になったばかりの頃、、、
帰りがけに課長に呼びつけられ、、、
「どうせ帰っても暇なんだろ」「これを届けてくれ」
届け先は柳ヶ瀬のクラブになっていた。

まだ繁華街に出かけるような経済力もなく、映画を見て、うどん一杯食べるのが唯一の贅沢だった頃である。

目的地のクラブを探して夜の柳ヶ瀬をきょろきょろしながら歩くと客引きのおねぇさんに腕を組まれてドキドキしながら、、どうにか辿り着いた。

重厚なドアを開けると、、、見たこともない別世界であった。
テレビでしか見たことのないようなきれいな女の子が20人ぐらい、、、
岐阜にもこんな世界があるのか、、、、圧倒されて呆然と立ちすくんでしまった。

みすぼらしい格好の若い男が、、、客じゃあないことは一目でわかる。
女の子の一人が、「ママぁ~」と呼ぶ。

出てきたのが、、、この桂銀淑にそっくり、年頃もこの写真ぐらい。声も、、このハスキーボイス。。

「なんか用」
これが第一声。

「これを渡してくれって預かってきました」
封筒を差し出す。

「ああぁ~杉原さんの部下の子なの」
「領収書を書くから、、、何か一杯飲んでってよ」

「ごめんなさい」「僕はこんなお店で飲めるような身分ではないので・・」

「こんな店とは、ひどいこと言うのね」

「そうじゃあなくって、、僕はいまおとぎ話の竜宮城にいるような気分です」
「ぼくの全財産、こんだけしかないんです」
2千円しか入ってない財布を広げて見せた。

「なんか、、、子供を相手に話してるような気分になってくるわ」
「はい、領収書」「杉ちゃんにまた来てねって言っておいてね」

これがこのママとの最初の出会いである。

あとから分かった話であるが、、、こんなガキの使いのようなことはプライドが許さなかったから誰もが行きたくなかったということである。

あとはもう、、、私の仕事であるかのように毎月月末になると支払いに行かされたのである。

3回目ぐらいから親近感が出てくるものである。

「あんたもこんなガキの使いのようなことばかりで可哀そうだから、、、」
「お客も少ないし、話相手をしてってよ」
「大丈夫、あんたからお金を取ろうなんて思ってないから・・・」
「ビール、それともウイスキー」

「薄い水割りでいいです」
尻が沈み込むようなソファー腰かけても落ち着かなかった。

「あんたぜんぜん擦れてないけど地元??」

「はい、陸の孤島と言われてる徳山村出身です」

「ああ~聞いたことがある」
「すごいところなんだってね」

「町へ出てきて、そう思いました」

「なるほどね」「最初からなんか親近感があったんだよね」
「わたしは五島列島の放れ小島出身なの」
「陸じゃあなくて本当の孤島だよね」

結局、水割りを3杯飲んだ。
美味しかった。そりゃあそうだよね。レミーマルタン、ブランデーだもん。
喉にひっかるようなサントリーレッドと比べるのが間違っている。

帰りがけに、、、「すみません、奢ってもらって、、、」

「大丈夫よ、商売人が損するようなことはしないから・・・」
「ちゃんとスギちゃんの請求に上乗せしとくだけだから・・・」

それから5年後、転勤するまで面倒を見てもらった。
個人的に外でも2,3回飲ませてもらったこともある。

あんな高級クラブに行けるような身分にはなれず、、、
転勤してからは会ったこともないが・・・・

ユーチューブで桂銀淑を見て思い出した。
生きていればもう80か90、、、


絶対、出会えるはずもない人に出会い、親密になれる。
すべては・・・運命で決まっていた・・・というしかない。

暇つぶしに

いつも散歩の途中で出会うおばあさんと話した。
早く死にたいけどなかなか死ねない、、というようなことを言った。

おばあさん曰く、、わしなんか死にたい死にたいと思いながら10年も生きている。
人間、そうは楽には死なせてもらえないもんよ(笑)

夜眠れないのは変わりないが、、症状は少し落ち着いてきた。
夜中、布団の中で起きている時間が長いと、いろいろな記憶が蘇ってくる。

昼間、、、、幼稚園バスの孫の迎えと小学校の孫の迎えがあるから寝るわけにはいかないし、出かけるわけにもいかない。

本を読むのにも飽きて退屈で仕方がない。

暇つぶしに、、夜中に思い出した記憶を書いてみようと思った。


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Author:諏訪真吾

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