結果に惑わされず、信じることを貫き通す
マルコさん
>真似していますが、うまくいったりいかなかったりで、なかなか成績が安定しません。
>昨日は4銘柄を購入し持ち越しましたが、本日全敗となりました。
いまは相場が不安定なので、あまり注ぎ込まない方が無難だと思います。
>私も、諏訪さんが買われた4475HENNGEを100株、昨日の終値3115円で買いました。買う理由は陰線3本の後に陽線がでたから。それと、3000円のフシ値でもみ合っていたからです。
私はこの銘柄はずっと監視していましたので、、、毎日の値動きを見ていて上値が重いのが気になっていました。それでGUは高値掴みになる予感がして3000円のフシに指値を入れての待ち伏せ買いでした。ギャップアップを買うという私の買い方にしては常識外れの買いです。それが大量売りを浴びた瞬間に下ヒゲで引っかかったという幸運なものでした。
>寄付きが見られないので、逆指値をいくらにしようか迷いました。NYダウが下がった場合、安く始まるので、昨日の始値3040円か安値2990円のどちらにするか迷ったあげく2990円にしました。逆指値をしてなければ約4万円のマイナスになっていたので、設定しておいて良かったのですが、ここで自分の考え方が正しかったのか間違っていたのか疑問がわきました。
①買うのが終値では遅すぎたのではないか。 そもそも17日の終値より安く始まったので、動きが弱いと考えて手をだすべきではなかったのではないだろうか。
②損切ポイントは、昨日の安値ではなく、板が厚くなる始値にすべきだったのでないか。
③注文の仕方を工夫して、昨日の終値より安く始まったら「売り」というふうに入力すべきだったのではないか。
私なら、、という前提で言えば、①についてはギャップダウンは買わないという制約を課しているので手を出さないと思います。
②については買値より1000円~2000円下がったところで成り行き売りの逆指値を入れると思います。これは損失は可能な限り小さくするという制約を課しているので。
>わかりにくい説明で申し訳ありませんが、諏訪さんの見解をお時間があるときで結構ですから教えてください。
余計な話になるのでしょうが、私の考え方を少し、、、、
そんなに深く考える必要があるのか?というのが読ませていただいた感想です。
損切りしなければ40000円損するところを、5000円の損失で抑え込んだ。言い換えれば35000円も儲けたのと同じことではないでしょうか。私なら大成功だったと喜ぶところです。
儲かったら成功、損したら失敗、、、という考え方から私は脱却しました。
以前、ヤフーファイナンスに投資のプロたちが株価予想をしていました。その結果を見ると、ぜいぜい当たる確率は50%台でした。つまり投資のプロでも儲かる確率は50%程度ということです。
専門家でもそんな程度ですから素人がそんなに勝率にこだわることはないと考えるのです。しかし、例えば、馬券なら1か0かですから勝率イコール損益になりますが、トレードは、1勝5敗でも利益を残すことができます。つまり勝率と損益は比例しないと考えるわけです。
なら、勝った負けたにこだわることは無意味なことで、いかに損を小さく切って、いかに利益を伸ばすことができるかを考えるべきだと考えるのです。しかし、利益を伸ばすことは人間の能力ではどうしようもない、、人間にできることは、ただ一つ、いかに損失を小さく抑えることができるかしかないのです。当然、含み損も損失です。
こうなったら買う、こうなったら売る、、、という自分のトレードに制約をかけるのです。
私の場合は、、、GUは買う、GDは売る、、と決めてしまいます。また、含み損は持ち越さない、含み益は持ち越す、、と決めてしまいます。
それで儲かるのか???
たとえば、たくさんの銘柄で検証すれば、GDで売らない方が数倍の利益を出せたという事例もあるでしょう。いわゆる売らなければ良かったというヤツです。しかし、それを言い始めれば、、、、何の基準もなくなってしまいます。
近所の奥さんが新興宗教にはまっていて、お札を身に着けていると災難に遭わないと勧められていました。そんなある日、娘さんが自動車にはねられて大けがをしてしまいます。それを聞いた近所のおばさんたちが「お札を持ってても災難に遭ったじゃあない」と信仰を馬鹿にしたように言い合った。
しかし、その奥さんは「娘は、お札を持っていたから死ななかった」「神様が助けてくれたんだ」と、新興宗教の神様をありがたがったのである。
最近、こんなことを思います。
自分の考えたやり方が正しいかどうかではなく、どんなことがあろうと自分の考えが正しいと信じる、信じて貫き通す。これこそが正しいことじゃあないのかと。
本屋さんに行くと、種々雑多な投資本が多数発行されています。
しかし、その本に書かれたやり方で儲けることができるのか、、、と言えば、そんなことはない。
10人いれば10通りのやり方があり、考え方がある。
もし、絶対正しい方法があり、絶対もうかる方法があるとすれば、誰もが同じ方法に行き当たるはず。何通りもの投資法があるはずはないということでしょう。
自分が正しいと考える手法を、絶対正しいと信じ、自分が考えた条件を守り抜く。これが大切なことなんじゃあないかと思うのです。
将来の株価の動きなんて誰にも分らない。
分からないものを当てる方法なんてものがあるはずはない。
結局、考えるだけ無駄なこと、、、何も考えないで自分が正しいと信じたことをやり通す。
行き着くところは、、、そこじゃあないかと私は思います。
>真似していますが、うまくいったりいかなかったりで、なかなか成績が安定しません。
>昨日は4銘柄を購入し持ち越しましたが、本日全敗となりました。
いまは相場が不安定なので、あまり注ぎ込まない方が無難だと思います。
>私も、諏訪さんが買われた4475HENNGEを100株、昨日の終値3115円で買いました。買う理由は陰線3本の後に陽線がでたから。それと、3000円のフシ値でもみ合っていたからです。
私はこの銘柄はずっと監視していましたので、、、毎日の値動きを見ていて上値が重いのが気になっていました。それでGUは高値掴みになる予感がして3000円のフシに指値を入れての待ち伏せ買いでした。ギャップアップを買うという私の買い方にしては常識外れの買いです。それが大量売りを浴びた瞬間に下ヒゲで引っかかったという幸運なものでした。
>寄付きが見られないので、逆指値をいくらにしようか迷いました。NYダウが下がった場合、安く始まるので、昨日の始値3040円か安値2990円のどちらにするか迷ったあげく2990円にしました。逆指値をしてなければ約4万円のマイナスになっていたので、設定しておいて良かったのですが、ここで自分の考え方が正しかったのか間違っていたのか疑問がわきました。
①買うのが終値では遅すぎたのではないか。 そもそも17日の終値より安く始まったので、動きが弱いと考えて手をだすべきではなかったのではないだろうか。
②損切ポイントは、昨日の安値ではなく、板が厚くなる始値にすべきだったのでないか。
③注文の仕方を工夫して、昨日の終値より安く始まったら「売り」というふうに入力すべきだったのではないか。
私なら、、という前提で言えば、①についてはギャップダウンは買わないという制約を課しているので手を出さないと思います。
②については買値より1000円~2000円下がったところで成り行き売りの逆指値を入れると思います。これは損失は可能な限り小さくするという制約を課しているので。
>わかりにくい説明で申し訳ありませんが、諏訪さんの見解をお時間があるときで結構ですから教えてください。
余計な話になるのでしょうが、私の考え方を少し、、、、
そんなに深く考える必要があるのか?というのが読ませていただいた感想です。
損切りしなければ40000円損するところを、5000円の損失で抑え込んだ。言い換えれば35000円も儲けたのと同じことではないでしょうか。私なら大成功だったと喜ぶところです。
儲かったら成功、損したら失敗、、、という考え方から私は脱却しました。
以前、ヤフーファイナンスに投資のプロたちが株価予想をしていました。その結果を見ると、ぜいぜい当たる確率は50%台でした。つまり投資のプロでも儲かる確率は50%程度ということです。
専門家でもそんな程度ですから素人がそんなに勝率にこだわることはないと考えるのです。しかし、例えば、馬券なら1か0かですから勝率イコール損益になりますが、トレードは、1勝5敗でも利益を残すことができます。つまり勝率と損益は比例しないと考えるわけです。
なら、勝った負けたにこだわることは無意味なことで、いかに損を小さく切って、いかに利益を伸ばすことができるかを考えるべきだと考えるのです。しかし、利益を伸ばすことは人間の能力ではどうしようもない、、人間にできることは、ただ一つ、いかに損失を小さく抑えることができるかしかないのです。当然、含み損も損失です。
こうなったら買う、こうなったら売る、、、という自分のトレードに制約をかけるのです。
私の場合は、、、GUは買う、GDは売る、、と決めてしまいます。また、含み損は持ち越さない、含み益は持ち越す、、と決めてしまいます。
それで儲かるのか???
たとえば、たくさんの銘柄で検証すれば、GDで売らない方が数倍の利益を出せたという事例もあるでしょう。いわゆる売らなければ良かったというヤツです。しかし、それを言い始めれば、、、、何の基準もなくなってしまいます。
近所の奥さんが新興宗教にはまっていて、お札を身に着けていると災難に遭わないと勧められていました。そんなある日、娘さんが自動車にはねられて大けがをしてしまいます。それを聞いた近所のおばさんたちが「お札を持ってても災難に遭ったじゃあない」と信仰を馬鹿にしたように言い合った。
しかし、その奥さんは「娘は、お札を持っていたから死ななかった」「神様が助けてくれたんだ」と、新興宗教の神様をありがたがったのである。
最近、こんなことを思います。
自分の考えたやり方が正しいかどうかではなく、どんなことがあろうと自分の考えが正しいと信じる、信じて貫き通す。これこそが正しいことじゃあないのかと。
本屋さんに行くと、種々雑多な投資本が多数発行されています。
しかし、その本に書かれたやり方で儲けることができるのか、、、と言えば、そんなことはない。
10人いれば10通りのやり方があり、考え方がある。
もし、絶対正しい方法があり、絶対もうかる方法があるとすれば、誰もが同じ方法に行き当たるはず。何通りもの投資法があるはずはないということでしょう。
自分が正しいと考える手法を、絶対正しいと信じ、自分が考えた条件を守り抜く。これが大切なことなんじゃあないかと思うのです。
将来の株価の動きなんて誰にも分らない。
分からないものを当てる方法なんてものがあるはずはない。
結局、考えるだけ無駄なこと、、、何も考えないで自分が正しいと信じたことをやり通す。
行き着くところは、、、そこじゃあないかと私は思います。