トレードでは安心感を重視
私の投資に対する考え方の大前提は「絶対もうかる方法などない」ということです。これは投資に限らず世の中のことすべてにおいて「絶対」はないというのが摂理だということです。
親友だから絶対信用できる、親の言うことだから絶対だ、子供だから絶対裏切らない、などなど、多くの人はそう思って生きているのであろうが、世の中で起きる事象は、そんなことはない。親が子を殺し、子が親を殺す、それが現実である。
その現実を踏まえた時、世の中に絶対信じられるものは「自分以外にない」ということになる。織田信長は「自分は神であり、自分の判断こそがすべて真実」との信念で、誰もが恐れる神社仏閣を焼き討ちし、坊主や信者を皆殺しにしたと言われている。
すなわち既成概念や一般常識や他人の目を判断基準にしていては、人並みのことしかできないということであろう。つまり自分の判断基準がなく、他人の存在や一般的な知識のみが判断の物差しになっていて「俺はどう考える」「俺はどうする」という自分の判断がそこには存在しない。
そして結果が悪ければ「国が悪い」「会社のトップが悪い」「上司が悪い」と、自分が判断しなかったことを棚に上げて他人を批判する。「裏切った、裏切られた」という泣きごとも同じであろう。
自分の判断がすべて、他人の批判など関係ない・・という自信さえあれば、結果が悪かったとしても他人を恨んだり、他人を批判はしない。すべては自分の判断が間違っていただけのことと納得できるはずであろう。
とは言っても「人の心は弱いもの」、いかに正しいと自信を持っていても結果が伴わないと不安になる。不安に襲われると何か(誰か)に頼りたくなる。その結果、自分はダメ、他人が正しいと思い込み、本などを読み漁る。つまりは他人に判断をゆだねるということになってしまう。
学者が言うんだから、専門家が言うんだから・・トレードで結果を残している人が言うんだから・・でも現実はそんなもんじゃあない。学者であろうと、専門家であろうと、人である以上、不安におびえ、自分に自信を失いそうになりながら、自分の信念を押し通そうとしているだけのこと。
人の心の弱さなんて誰でも同じということ。・・と私は考えている。
前置きが長くなってしまったが、トレードは自分の不安心理との戦いであると思っている。自信があろうが、不安いっぱいであろうが、結果との相関はない。勝つときは勝つし、負ける時は負ける。それが現実である。ならば、他人に判断をゆだねるより自分で判断した方が納得できる。
自分で判断して勝った時は、利益以上の喜びが得られるし、負けた時は、なぜ負けたかの検証ができる。負けた検証ができてこその上達である。勝った時の自信こそが上達である。と私は考えています。
人生でも同じでしょうが、トレードで重要なのは「安心感」、ただこれだけで「心の余裕」が、天と地ほども違ってきます。つまり何かがバックップしてくれる、サポートしてくれる、という精神的な支えさえあれば、余裕を持ってトレードができるということになる。
「5707 東邦亜鉛」

そこでチャート分析では、ボックスとトレンドラインがサポートしてくれるという「安心感」の役割を果たすわけです。言いかえれば、誰かのアドバイスに安心感を持つのか、自分の判断に安心感を持つのかということです。
たとえば、このチャートで「安心感を持って買える位置」となれば、赤丸を付した位置、すなわちボックスの天井ラインがサポートしてくれる、トレンドラインがサポートしてくれるという安心感がるわけです。
ところが青丸を付した現在位置は、サポートしてくれる位置が下過ぎて「安心感」がありません。つまり下値不安が大きい位置ということになります。不安を抱えながらのトレードは、自信がない分、精神的に辛いものです。
そう考えた時、常に「安心感のある位置」で買う。安心感のある位置で買った場合は「サポートラインを抜けるまで我慢」する。という考えは必要ではないかと思います。損切りばかりの繰り返しという話も聞きますが、損切りとは、損をしたら売るということではなく、上昇トレンドが崩れたら売るということです。
すなわち「安心感のない位置で買った場合は、ギャンブルですから下げたら損切りする」であり、「安心感のある位置で買ったならトレンド転換を見極める」という投資判断が重要なポイントになってくるのでしょう。

親友だから絶対信用できる、親の言うことだから絶対だ、子供だから絶対裏切らない、などなど、多くの人はそう思って生きているのであろうが、世の中で起きる事象は、そんなことはない。親が子を殺し、子が親を殺す、それが現実である。
その現実を踏まえた時、世の中に絶対信じられるものは「自分以外にない」ということになる。織田信長は「自分は神であり、自分の判断こそがすべて真実」との信念で、誰もが恐れる神社仏閣を焼き討ちし、坊主や信者を皆殺しにしたと言われている。
すなわち既成概念や一般常識や他人の目を判断基準にしていては、人並みのことしかできないということであろう。つまり自分の判断基準がなく、他人の存在や一般的な知識のみが判断の物差しになっていて「俺はどう考える」「俺はどうする」という自分の判断がそこには存在しない。
そして結果が悪ければ「国が悪い」「会社のトップが悪い」「上司が悪い」と、自分が判断しなかったことを棚に上げて他人を批判する。「裏切った、裏切られた」という泣きごとも同じであろう。
自分の判断がすべて、他人の批判など関係ない・・という自信さえあれば、結果が悪かったとしても他人を恨んだり、他人を批判はしない。すべては自分の判断が間違っていただけのことと納得できるはずであろう。
とは言っても「人の心は弱いもの」、いかに正しいと自信を持っていても結果が伴わないと不安になる。不安に襲われると何か(誰か)に頼りたくなる。その結果、自分はダメ、他人が正しいと思い込み、本などを読み漁る。つまりは他人に判断をゆだねるということになってしまう。
学者が言うんだから、専門家が言うんだから・・トレードで結果を残している人が言うんだから・・でも現実はそんなもんじゃあない。学者であろうと、専門家であろうと、人である以上、不安におびえ、自分に自信を失いそうになりながら、自分の信念を押し通そうとしているだけのこと。
人の心の弱さなんて誰でも同じということ。・・と私は考えている。
前置きが長くなってしまったが、トレードは自分の不安心理との戦いであると思っている。自信があろうが、不安いっぱいであろうが、結果との相関はない。勝つときは勝つし、負ける時は負ける。それが現実である。ならば、他人に判断をゆだねるより自分で判断した方が納得できる。
自分で判断して勝った時は、利益以上の喜びが得られるし、負けた時は、なぜ負けたかの検証ができる。負けた検証ができてこその上達である。勝った時の自信こそが上達である。と私は考えています。
人生でも同じでしょうが、トレードで重要なのは「安心感」、ただこれだけで「心の余裕」が、天と地ほども違ってきます。つまり何かがバックップしてくれる、サポートしてくれる、という精神的な支えさえあれば、余裕を持ってトレードができるということになる。
「5707 東邦亜鉛」

そこでチャート分析では、ボックスとトレンドラインがサポートしてくれるという「安心感」の役割を果たすわけです。言いかえれば、誰かのアドバイスに安心感を持つのか、自分の判断に安心感を持つのかということです。
たとえば、このチャートで「安心感を持って買える位置」となれば、赤丸を付した位置、すなわちボックスの天井ラインがサポートしてくれる、トレンドラインがサポートしてくれるという安心感がるわけです。
ところが青丸を付した現在位置は、サポートしてくれる位置が下過ぎて「安心感」がありません。つまり下値不安が大きい位置ということになります。不安を抱えながらのトレードは、自信がない分、精神的に辛いものです。
そう考えた時、常に「安心感のある位置」で買う。安心感のある位置で買った場合は「サポートラインを抜けるまで我慢」する。という考えは必要ではないかと思います。損切りばかりの繰り返しという話も聞きますが、損切りとは、損をしたら売るということではなく、上昇トレンドが崩れたら売るということです。
すなわち「安心感のない位置で買った場合は、ギャンブルですから下げたら損切りする」であり、「安心感のある位置で買ったならトレンド転換を見極める」という投資判断が重要なポイントになってくるのでしょう。

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